04 / 飼い主の苦悩
飼い主の苦悩
バタン。
玄関のドアが荒々しく閉められた音と、寝室まで伝わった震動によって目が覚めた。妻が出掛けたようである。
起き上がって襖を開け、リビングへ出てみると、物がどかされた跡が残っており、窓は開いたままでカーテンが風でなびいていた。ベランダにはいつも置いてある車椅子がない。部屋の荒れようからも、妻は余程慌てていたと思われる。
窓を閉めに行くと、つい癖で外の様子を見てしまう。目下にある公園を遊具のある方から森林地帯へと眺める。
そこで私の目に飛び込んできた光景は、妻が何故慌てたのかを説明するのに十分過ぎるものだった。
あの木の根元を掘り返している者がいる…
しばらくすると、掘り返すのを止め、それと同時に妻がマンションの正面玄関から出てきた。その後妻が繰り広げた殺人ショーを見守りながら、辺りを見回す。
手前にある公園の入り口で、女性が座り込んだ。その視線は明らかに惨劇の起こっている方を向いている。
向かいの入り口付近には、近所の高校の制服を着た学生が公園の方を向いている。顔は分かるが、目線までは確認できない。あの位置からだと座り込んだ女性は見えているはずだが、犯行現場を見れているのかは分からない。しかし何にせよ、公園の方を向いている事には変わりない。
時間帯が幸いしたのか、公園付近で私が確認できたのはその二人だけであった。
妻は遺体を少し移動させた後、急いで車椅子に乗り、道を渡ってマンションに入って行った。どうやら座り込む女性の姿は目に入らなかったようである。それが私たちの状況を悪い方向に傾かせる要因に成り得るのは言うまでもない。事が公になれば私たちが隠し通してきた秘密も、事件の産物として気付かれてしまう可能性がある。
犯行を目撃したと思われるのは、今も公園の近くにいる二人。座り込む女性に関しては、顔まで見られている可能性がある。学生も車椅子で移動する妻の姿を目にしているはずだ。座り込む女性に目もくれず、急いでマンションに入る妻の姿は、さぞ不審に思われたに違いない。
二人の対処を考えている間に、妻が帰ってきた。妻からは私が目撃し、推測した大方の話が聞かされた。
動揺する妻を抱きしめて落ち着けた後、ゴム手袋やエプロンの処理を指示する。その間も外の二人の動向を見続けていた。
妻がコップを落として割った。と同時に、それに反応したかのように学生が駆け足でその場を去った。その姿を見て、初めて通報された時の”恐怖”というものが私を襲ってきた。見えにくい場所だとはいえ、白昼堂々犯行を行ったわけであるから、通報されたらそれまでである。私も多少の焦りを感じ、少しの間公園から目を離していた。
次に目を向けた時には、座り込んでいた女性が動いていた。
彼女は遺体を軽トラックに乗せ、立ち去ってしまったのだ。当然私にはその行動が理解できない。突然の事に、思考が可能になるまで数分経ったであろう。事は私の考えを超える事態に発展していた。
しかし、彼女の行動によって幸いすることもあると考えられた。
もし学生が通報したとしても、遺体がそこにないという事。木の付近には血痕もあるので、事件が本当にあったのは証明できるとしても、遺体がそこにないのであるから、警察による捜査は混乱するだろう。公園の地面に残された軽トラックのタイヤ跡も、犯人がそこから遺体を持って移動したと思わせてくれないだろうか。そうすれば、少なくとも免許も持たず、ましては老体の私たちは事件の対象から外れてくれる。
だが、この憶測には重大な欠点がある。
学生に、車椅子の事や、顔を見られていると仮定した時の、人相も報告されている場合だ。そこまで報告されているとなると、ほぼ間違いなく疑いの目がこちらに向く。それに万が一、妻の姿をマンションの住人が目撃していたとすると、真っ赤に染まったエプロンとゴム手袋をして車椅子で移動する姿は、不審に思われても仕方がない。
ここまで考えて、どちらに通報されても私たちの立場が悪い事には変わりがなく、考え過ぎても仕方がないと思った。どうせなら、自分たちにとって都合の良い方向、つまり通報されなかった時の二人の対処を考えることにした。
まず学生についてだが、朝あの道を通っていたので、あの道が彼の通学路であることは間違いない。すると、帰りも同じ道を帰ってくるのではないか?
その姿を目撃したら、すぐに出れば団地に入る前に彼を殺す事ができる。今日が駄目でも、明日の朝がある。通行人が大勢いるなら、彼を呼びとめて人気の少ない所へ誘いこめばいい。もちろん相当のリスクがあることは理解している。それに彼は、”目撃者なのかもしれない”という立ち位置である。もしかしたらただの通行人である人を殺そうと計画しているのだ。正常な神経が、馬鹿げていると私の心に伝えるが、私は保身に走る人間である。いかに僅かな可能性でも潰しておきたい。
この時点で、すでに私という人間の崩壊が始まっていたのかもしれない。
そんな事は気にもせず、私は軽トラックで去って行った女性の対処方法を考えるのに没頭していた。何しろ彼女については考えどころが満載なのだ。
そもそも、なぜ彼女は遺体を軽トラックで運び出したのか?警察に行くというのはまずありえないだろう。その場で通報すれば済むし、遺体を動かすことで疑いの目を向けられる可能性もある。
では病院に行ったのか?しかし、あれだけ滅多刺しされたのを目の当たりにして、よもや助かるとは思うまい。
そういえば、彼女の運転が慣れたものであったのも妙である。普段からあのタイプの車に乗っているのか…
そこで、軽トラックの側面に、近くの土木関係の会社名がプリントされていたのを思い出した。
そして私は一つの仮説を立ててみた。
”彼女は遺体の同僚である”のではないか。
軽トラックの運転さばきは仕事で乗っている車だからという事で説明できる。また、座り込んでしまったのは、同僚が突然あれ程の惨劇に出くわしたのを目の当たりにすれば当然の反応といえる。
その場合は会社に戻ったと解釈していいのだろうか?いや、動揺していたとしても、遺体を運ぶ理由にはならない。
彼女の、”遺体を運び出す”という行為が、私を謎の迷宮の深部まで案内しているようだった。
ともかく、遺体はその会社の社員であることは確かである。あくまで通報されなかった事を仮定して、明日その会社を見に行き、会社がどんな対応を取ったのか、また彼女が社員であるのであれば、彼女の帰りを尾行して消してしまいたい。
それは、何もしていなくても汗の出る、蒸し暑い日の始まりの出来事だった…
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